阪神打出駅を下車すると、そこは「打出の小槌」伝説が息づく閑静でどこか懐かしい街並みが広がっています。しかし、打出の魅力は小槌だけに留まりません。この地は平安時代前期、政争を逃れた平城天皇の第一皇子・阿保親王(あぼしんのう)が静かに晩年を過ごした隠棲の地でもありました。
今回は打出駅からスタートし、旧街道の道標「阿保親王廟石碑」、黄金伝説が眠る「金津山古墳」、親王の墓所とされる「阿保親王塚古墳」、そして菩提寺である「阿保山 親王寺」へ。時を超えて語り継がれる古代ロマンと阿保親王の足跡を訪ねる、風情あふれる歴史散歩へとご案内します。
阿保親王とは

阿保親王(あぼしんのう、792〜842年)は、平安時代初期の皇族で第51代平城天皇の第一皇子で、在原行平・業平兄弟の父としても知られます。「薬子の変」(平城上皇と嵯峨天皇が対立し、藤原薬子らが上皇を擁して挙兵を企て破れた政治事件)に伴い大宰府へ左遷された後、京へ復帰しました。
晩年は、現在の芦屋市打出町付近に別荘を構えて過ごしていたと伝えられています。
また、阿保親王の息子である在原業平が芦屋の地を訪れ『伊勢物語』の舞台となったこともあり、親王一族の所領やゆかりの地として語り継がれています。
阪神電車 打出駅
それでは、阪神電車の打出駅からスタートしましょう。

打出駅は明治38年(1905年)の阪神電気鉄道開通と同時に開業した歴史ある駅です。
また、駅の所在地は芦屋市打出小槌町で、「打出の小槌」伝説ゆかりの地としても知られています。

打出の小槌とは、日本の昔話や伝説に登場する、振ると欲しいものが出てくる不思議な小さな槌(つち)のことです。代表的なものが『一寸法師』に登場する打出の小槌で、一寸法師が鬼を退治した際、鬼が落としていった小槌を使って自分の体を大きくしたとされています。また、七福神の一人である大黒天が手にしている姿でも知られ、財福や豊かさをもたらす縁起物として親しまれています。

近隣の打出天神社には “ 願いが叶う打出の小槌 ” が奉納されています。
阿保親王廟の石碑 ~ 旧街道に再建された中世の道標 ~

打出駅を北へ進むとすぐに「阿保親王廟」と刻まれた大きな石碑が現れます。
石碑の前の道路は旧西国街道であり、古くから西国と京を結ぶ主要街道で、江戸時代には参勤交代の大名も往来しました。
この石碑には、ここから北方に位置する「阿保親王塚古墳」への案内道標としての役割があります。現在の石碑は昭和になってから再建されたものですが、古くから木製や石製の道標があったと考えられ、この地域で阿保親王が手厚く祀られてきた歴史を象徴する街角の歴史遺産と言えるでしょう。
ちなみに、「阿保親王廟」という題字は、のちに内閣総理大臣を務めた犬養毅(当時は元文部大臣・与党幹部)の揮毫によるものです。
金津山古墳 ~ 阿保親王と埋蔵金伝説 ~

道標のすぐ近くの住宅街の中に「金津山古墳」(兵庫県指定史跡)があります。
駅からわずか100メートルの場所に古墳があるなんて意外ですね。
金津山古墳は5世紀後半に築造された帆立貝形前方後円墳です。元々の墳丘長は約55mありましたが、鎌倉〜室町時代の耕作地開発で前方部が削られ、現在は直径42mの後円部のみが円墳のように残っています。発掘調査では周濠や埴輪破片が多数出土しました。

実は古墳には阿保親王にまつわる伝説が残されています。
打出の村人を愛した阿保親王が、万一の飢饉に備えて黄金一千枚と金瓦一万枚を埋めさせたという「金津(かなつ)」の地名由来にまつわる埋蔵金伝説が地域で語り継がれているのです。
もちろん、柵があって中には入れませんが、芦屋市打出小槌町らしいロマン溢れる伝説ですね。
阿保親王塚古墳 ~ 考古学と伝承が交差する歴史スポット ~

阿保親王の墓所と伝えられる阿保親王塚古墳は、金津山古墳から700メートルほど北にあります。
国道2号線を渡ったところに、またもや道標が建てられています。
正面中央に大きく「阿保親王墓」と刻まれ、右上に「平城天皇皇子」、左下に「是ヨリ北三丁」(ここから北へ約327m)と添えられています。

案内の通り、300mほど先の静かな住宅街の中に突如として緑豊かな森が現れました。
ここが「阿保親王塚古墳」です。

実はこの古墳が築造されたのは古墳時代前期の4世紀で、阿保親王が生きた9世紀前半頃よりも遥かに古い古墳なのです。

実際の被葬者は分からないのですが、「阿保親王の墓」として宮内庁が管理している特別な場所です。

よく見ると鳥居や灯籠が見えますね。
宮内庁が管理する「陵墓(りょうぼ)」(天皇・皇后・親王ら皇族の墓)における伝統的な拝所の様式に沿ったもので、とても格調高く維持管理されていることが見て取れます。
また、奥に見える “こんもりとした墳丘” は直径約36m、高さ約3mの円墳で、この敷地の周囲には方形の濠が巡らされています。

そして、興味深いことに、阿保親王塚古墳は江戸時代に阿保親王の後裔を称した長州藩・毛利氏によって大規模な改修が行われました。その際に出土したとされる4面の銅鏡(芦屋市指定文化財)は、親王寺というお寺に所蔵されているそうです。
つまり、“ここが阿保親王の墓である”という伝承のもとで毛利氏が大改修を行ったことで、「阿保親王墓」としての認識が広く定着し、その後の考古学調査によって“実は4世紀に築造された古墳である”ことが明らかになったと考えられます。
この墳丘には4世紀の被葬者が眠る一方で、人々は長い年月をかけて阿保親王の記憶も重ね合わせてきました。古代の被葬者と平安時代の皇族、二人の物語が交差するこの場所は伝承と考古学が織りなす歴史ロマンあふれるスポットなのです。

阿保親王塚古墳は「親王塚の森」と称して、“ 芦屋十景 ” に選定されています。
芦屋市には、ここ以外に9ヶ所も名所があるんですね。


阿保親王塚古墳がある場所は芦屋市翠ヶ丘町ですが、隣接する「親王塚町」という町名や「親王塚橋」という橋名は阿保親王塚古墳に由来する名称と考えられます。
このことは長年、阿保親王がこの地域で親しまれてきた証と言えるでしょう。
それでは、最後に阿保親王ゆかりのお寺「親王寺」へ向かいましょう🚶➡️
浄土宗 阿保山 親王寺 ~ 阿保親王ゆかりの寺 ~

打出駅の南側にある阿保山 親王寺は、阿保親王の別邸跡に親王の菩提を弔うために建立されたと伝わる浄土宗の寺院です。

親王寺の寺伝によると、元禄4年(1691年)の阿保親王850回忌の際、親王の後裔とされる長州藩・毛利氏によって阿保親王塚古墳の大規模な修復が行われました。その際、墳丘から出土したとされる4面の銅鏡が当寺に寄進されたそうです。この銅鏡はのちに芦屋市指定文化財に指定され、今も寺宝として大切に保管されています。

境内には皇室ゆかりの菊花紋章や毛利家の家紋(一文字三つ星)があしらわれ、阿保親王や毛利氏との歴史的繋がりを今に伝えています。

江戸時代、参勤交代で西国街道や西国浜街道を通過する際、歴代藩主が親王寺や阿保親王塚(墓所)に立ち寄り、参詣や休息を行っていたと伝わります。
古代の古墳伝承と江戸時代の歴史が結びついた、芦屋の歴史を語るうえで欠かせない名刹なのです。
芦屋市打出に伝わる阿保親王の伝承を追った今回の街歩き。住宅街の中にひっそりと佇む史跡や緑豊かな古墳を巡るうちに、1100年以上も前にこの地を愛した親王の静かな息遣いが聞こえてくるようでした。
「打出の小槌」というおめでたい地名の裏に秘められた、もう一つの優雅で少し切ない古代ロマンに浸ることができます。皆さんもカメラを片手に、時空を超える打出の歴史散歩へ出かけてみてはいかがでしょうか。
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